TOPICS:

ブルマァク45周年記念企画・第9回(最終回)これまでのインタビューを振り返る!ブルマァク代表・鐏三郎インタビュー

「ブルマァク45周年記念インタビュー」いよいよ完結! これまで8回にわたってお送りしたインタビュー。今回は遂に完結という事でブルマァク代表・鐏三郎氏にこれまでのインタビューを振り返っていただき、思いつくままに語っていただきました。すると、またまた新たな事実が!?

ブルマァク45周年記念企画・第9回(最終回)これまでのインタビューを振り返る!ブルマァク代表・鐏三郎インタビュー
鐏三郎(いしづき・さぶろう)
■1936年生まれ。千葉県出身。1951年マルサン商店入社。1966年に怪獣ソフビを開発。1968年にマルザン倒産後、1969年4月にブルマァク設立。マルサン商店&マルザン時代の金型を全て引き継ぎ、第2次怪獣ブームを牽引。ブルマァク倒産後は、1978年アーク、1983年丸越に在籍。2007年、新会社としてブルマァクを設立。1966年から今なお怪獣ソフビの企画&販売に関わる、おもちゃ業界のレジェンド的存在。

1.インタビューについてのあれこれ

――今回はブルマァク45周年記念インタビューをふり返っていただき、いろいろお聞き出来ればと思っています。
今回のインタビューで初めて知った事で言うと、店頭用ジラースの原型をやってくれた宮田芳生さん(第5回参照)の経歴でした。てっきり宮田さんは、最初から原型師だと思っていましが、実は佐伯製作所時代に成型をされて、ケガをして原型室に移ったということに驚きました。それと原型師・河本武さんについて(第3回参照)息子さんにお話を聞いた時「当時、父の机でブースカを見た」と語って下さいましたが多分、頼んでないですね。ブースカは東京の原型師・岡日出夫さんにお願いした記憶があるんです。息子さんが見たのは原型ではなく、参考に持って帰った商品だったのではないかと思います。

――岡さんという方は、宮田さんの師匠にあたる方で、マルサン初期の6体でワックスを担当された方ですよね。
そうです。当時、玩具業界にはコーディネイターのような方がいて、その方からご紹介いただいたんです。田中さんというのですが、彼はとても幅広い人脈をお持ちでした。私たちでは到底繋がれないような人物と繋がってて、例えば怪獣ではないですが、マルサン時期にいきなり「水森亜土さんデザインの人形を発売しよう」と言ってきたり、ほかにも1970年代の万国博覧会の時……もうブルマァク時期ですが、太陽の塔の商品化の話を持ってきてくれた事もありましたね。

――マルサンからブルマァクにかけてという事は、随分と長いお付き合いですね。
田中さんは玩具業界の大先輩で、あっちこっちで営業されては情報を持ってきていただけるんです。その話が良さそうなら乗らせていただいて。こうした田中さんみたいな存在は、恐らくどういう業界にもいらっしゃると思います。会社と人を繋げるのが役割ですが上手かったのは、彼を通してもそんなに代金が高くならないよう調整してくれていたんです。なかなか飴と鞭の使い方が上手な方でした。とくにかくお付き合いの幅が広くて「この人はダメ、この人はいい」とかよくご存知でしたので、大いに利用させていただきました。

――意外とマルサン&ブルマァクの影の功労者だったりしますね。
そうでしたね。私など幅が狭いことしか解りませんから(笑)。

――そんなことはないでしょう! ほかに今回のインタビューで何か思い出したことなどありますか。
そういえば、ブルマァクの安定経営の方針について、まだどこにも話してないことを思い出しました。すでに話している事は「自分たちの力量に合った商売をし、能力以上の事には手を出さないようにする」こと。「経費は出来るだけ節約し、余計な事はしないで小人数で経営をする」として、ブルマァクは私を含めた3人で企画し、生産は全て工場、販売は代理店制度を採用、配送は運送屋さんに任せていましました。そしてここからが、まだどこにもお話ししてない部分になります。ブルマァクのスタート時に「基本的に自己資金だけで運営し、何があっても手形は発行しない」と創立した3人で約束していたのです。手形さえ発行しなければ無謀な投資……その後、ブルマァクの首を絞める事になった『トリプルファイター』の単独スポンサーなどが出来ないため、商品化権のみで無理のない契約で済みますし、危険の少ない安定した経営が出来たわけです。しかし、これが実行出来なかったんですね。

――もしそれが実行出来ていたら、またブルマァクの歴史は変わっていましたね。
そう思います。

2.新たに解った事実について

(ここで突然思い出したように)そういえば、ほかにも新たに解った事がありました。すでに以前のインタビューなどで「ブルマァクがスタートして、しばらく怪獣ソフビはやらなかった」とお話ししていますよね。

――ブルマァクが4月にスタートした時、たまたま甥っ子さんが、鐏さんからもらった怪獣ソフビで遊んでいた事から“ピン”ときて発売に向けて行動を開始したということでした。
甥っ子のエピソードが怪獣ソフビを復活させる後押しになったのは事実ですが、実はすでに2月頃から「怪獣ソフビをやろう」と島田トーイさんへ相談していたようなんですね。

――それはなぜ解ったんですか?
この間、島田トーイさんが古くなった倉庫を建て替えたんです。そうしたら「2月十何日かに鐏さんからそんな話をいただいたメモが出てきた」と教えてくれたんです。もしかしたらもっと以前の資料もあるかもしれないので、今度お邪魔して家捜しさせてもらおうかなと考えています。

――また新たな事実があるかもしれないわけですね。それにしても2月といえば前年の12月にマルサンが倒産したため残務整理している時期ですよね。
 「これからどうしよう?」と思い始めた時期です。その時、すでにやる気だったんですね(笑)。

――怪獣ソフビという鬼っ子を起こすも何も最初からやる気満々だったということですか(笑)。
本当に私自身が1番ビックリしました(笑)。ただそれは確固たる何かがあったわけではなく「もしやることになったら協力してほしい」というお願いだったと思います。残務整理の時は「自分はこれからどうなるのか?」という不安もあり少し正常ではないのです。どのみち玩具でしか食べていく事は出来ないと思っていましたので腹の中では「ひとりになってもやる!」と決めていましたね。マルサン時代に安定的に売れていた金属玩具についても、同じ時期に「個人的にやる事になったらお願い出来ないか?」と工場へ聞いてるんです。ブルマァクのスタートについては過去に語った通りですが、その前に根回しをしていた事は覚えてなかったですね。

――ちなみのその時、工場さんはすぐ協力してくれるという事だったんですか?
 そうでしたね。自分から言うのはおこがましいですが、マルサン時期からお付き合いのあった工場さんには信用していただいていたのだと思います。お付き合いの中で一番感激したのが、ブルマァクをスタートさせた時、ほとんどの工場さんから「代金は後払いでいい。先に商品を作るので売ってくれ」と言われた事でした。普通ならスタートしたばかりのブルマァクは、会社として信用がない。常識的に前金や「品物と引き換えに現金で支払ってほしい」と言わるはずです。しかし私が取引させてもらった工場さんは、どこもそういうことを言わなかったのです。

――鐏さんは人付き合いが上手いのですか?
決していい方ではないんですが、気の合う人とはわりといい関係が続きましたね。問屋さんでもマルサン時代は無理をお願いしたり聞いたりしながら、今でいう限定品を流してあげたりしていました。社長には大反対されましたが。

――いち社員の判断での行動ですよね。もしやいしづきさん、会社ではかなり“やんちゃ”な社員だったんじゃないですか?
逆らうというか社長と考えが違う時はぶつかりました。1番、意見したのは私がマルサンの自社工場を使わなかった時でした。例えばマルサン本社への仕入れは、自社工場でも外注工場さんでも、より安い方がいいわけです。金属の貯金箱を作った時、社長に自社工場へ持っていけと言われたので「自社工場と外注工場で、見積もりを比べさせてほしい」と意見したんです。見積もりを比べると外注工場さんの方が規模が小さい分、値段が安かった。そこで「外注工場でやらせてくれ!」と言ったら「ダメだ!」と言われたので「わざわざ高い方でやることないでしょう」って食ってかかった事がありました。その時、社長が側にあった黒電話を投げつけてきました。社長は短気ですから相当、頭にきたのでしょう(笑)。そうは言いながら実は社長もその辺は解っていますから、その後「お前の好きなようにやれ」と言ってくれましたね。

――それは怪獣ソフビを始める前ですか、後ですか?
やる前でしたね。

―― 確か怪獣ソフビも自社工場ではなく島田トーイさんへ生産を持っていかれていますよね。それにはそうした背景があってのことだったんですね。
そういうことです。マルサンの自社工場は、当時としては規模も大きいので管理費など全般的に高くなってしまうんです。メイン商品だったプラモデルやブルドックトイ(子どもが乗っても壊れない金属玩具)などは自社工場でいいと思います。しかしその他の玩具は、外注工場さんで安く出来れば、それにこしたことはないわけです。そうした外注工場さんへの態度がマルサン倒産後の「鐏さんがやるなら」という信用に繋がったのだと思います。倒産時は、どの工場にも損をさせているわけですから、なんとかお返しをしないといけない。だから一生懸命やり、儲け話がある時は「やらないか?」と持っていき、だんだん膨らんでゆくわけです。この事はあまり話した事はないですが、こういう信頼関係こそが後にブルマァクが躍進出来た大きな要素だと思います。

3.そしてブルマァクの今後について

話は少しそれますがブルマァクの『ミラーマン』は、これまでやまなやさんからスタンダードサイズの怪獣やミニソフビを復刻していただいていました。しかし今後、スタンダードサイズのみブルマァクから復刻することになりました。ただスタンダードサイズは、1番肝心なミラーマンの金型が紛失していたのです。ところが、やまなやさんと今回の話をしている矢先、島田トーイさんから「スタンダードサイズのミラーマンの金型が見つかった!」という連絡を受けたんです。以前、幻のブルマァク金型が沢山見つかった時がありましたが、その中には無かったんですけどね……。

――いしづきさんが『ミラーマン』をやろうとした時、見つからなかった金型が出てくる。なんかいしづきさんの強運を感じますね。
なんでしょうね(笑)。『ミラーマン』怪獣は、以前からやまなやさんで発売されていますから、ちょうどよかったですね。

――そうした金型の発見は、まだありそうですか?
混ざっていたので気が付かないとか、もしかしたらあるかもしれませんが、正直なんとも言えないです。まあ「あったらいいな」ぐらいな感じですね。

――それでは最後に「ブルマァク45周年記念企画インタビュー」を振り返ってひとことお願いします!
昨年がブルマァク45周年で、実は今年は46年め、来年は47年めに入ります。私が健康でいる限り生涯現役でブルマァクを続けようと思っています。どこまで行けるか解りませんが、楽しんでくれるお客様がいる限り、出来るだけ全力投球していきたいという気持ちですので、これからもよろしくお願いいたします。
――いつまでもお元気にブルマァクを続けて下さい。本日はお忙しい所、貴重なお話ありがとうございました。
(12月1日/飯田橋の某喫茶店にて収録)

■ブルマァク45周年記念インタビューバックナンバーはこちら
第1回「怪獣ソフビとブルマァクの始まり」
第2回「怪獣ソフビ生産を担当した島田トーイ」
第3回「最初の怪獣ソフビ6体の原型師・河本武氏」
第4回「ブルマァク時代のヒーロー&隊員の原型師・増田章氏」
第5回「ブルマァク時代の店頭用ソフビの原型師・宮田芳生氏」
第6回「70年代当時から現在までブルマァクの生産を担当するサトー」
第7回「ブルマァク時期の原型師・市川二巳氏」
第8回「ブルマァク復刻版の彩色サンプルを手がけた西村祐次氏(M1号)」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

人気記事

SOFVI INSTAGRAM

※instagramにハッシュタグ"#sofvitokyo"をつけて投稿した画像がリアルタイムで表示されます。

ページ上部へ戻る