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ブルマァク45周年記念企画・第1回 怪獣ソフビ誕生とブルマァクの歴史!

HH『そふび道』の人気企画「ブルマァク45周年記念インタビュー」が「東京そふび道」にて復活!

現ブルマァク代表・鐏三郎氏に、怪獣ソフビの誕生とブルマァクの歴史をあらためて振り返っていただきました。1966年マルサン商店にて怪獣ソフビを開発。1969年には、その金型を引き継ぎブルマァク設立と共に70年代の子供たちを夢中にさせた第2次怪獣ブームを牽引。90年代のホビーブームの中、ブランドとして再び脚光を浴び、2007年は新生ブルマァクとして再スタート。そんな怪獣ソフビとともに歩んだ波瀾万丈の歴史を紐解いてゆこう!

1.1966年、怪獣ソフビの誕生

―最初に怪獣ソフビを開発された経緯を教えて下さい。
怪獣ソフビの開発は、マルサン商店時代にさかのぼります。1964年当時、マルサン商店がゴジラを始め怪獣プラモデルを発売して爆発的にヒットしたんです。1965年の夏ごろ、1966年1月に『ウルトラQ』がスタートすること知り、年末発売の『週刊少年マガジン』(講談社刊)表紙の『ウルトラQ』怪獣を見た時『ゴジラに続く怪獣だ!』と思ったのです。マルサン商店のメインはプラモデル、ブルドックトイ(ブリキ製のおもちゃ)、レーシングなどでしたが、そこで『ソフビで怪獣を作りたい』とお願いして任されたのです。当時のソフビは、女の子向けの人形や可愛いどうぶつソフビがメインでしたが、プラモデルへの対抗意識もあり『負けずに!』という感じでしたね。

―企画されたのは鐏さんだったんですね。ソフビを強く推した理由はなぜですか?
ソフビ素材に惚れ込んでいたからです。1番気に入っていたのが、肌触りも良く、とても柔らかくて壊れにくいということでした。またマルサン商店製の女の子向け人形・マミードールなどよく売れていたので、その印象から「怪獣もソフビで売れる!」と考えたのです。

―開発で1番の苦労はなんでしたか?
サイズでした。最初は、見当もつきませんでした。怪獣は大きいイメージですから大きい方がいいと思いましたね。また以前、文化人形(布の抱き人形)などの大型商品を仕入れた時、よく売れたので『大きい』=『売れる』という印象が強かったのです。そして今のスタンダードサイズ(全高約23センチほどの怪獣ソフビの標準的サイズ)になったのです。原型は、もっと大きかったですよ。粘土原型→ワックス反転→元型(1番最初に製作される金型)→作業型(量産品を作るための金型)の行程でサイズは徐々に収縮しますが、最初の成型サンプルでは「子供には大きいかな?」と感じましたが、足を持ちやすいので、ちょうど良かったのかも知れません。

―第1弾は『ウルトラQ』のゴメス、ペギラ、ゴロー、パゴス、ガラモンでしたが、選んだ規準は何だったんですか?
基本的に尻尾があるスタンダードな怪獣や、デザイン的な人気を基準に選びました。そのため地味めなゴーガやモングラーや人型のケムール人など外したのです。ただ作ったのはいいのですが最初は注文がほとんど取れず、青ざめました……。

―そうだったんですか? でも当時、怪獣プラモデルは大ヒット商品ですよね?
そうですが、当時の問屋さんは模型と玩具で分かれていたので、互いに情報交換をしていなかったのでしょう。それに問屋さんの常識として、TVの人気キャラクターだったり、実在する乗り物などでないと「売れない」と思われてました。怪獣はTVで人気がありましたが、イメージは恐く、最初に発売したカラーも渋めだったので、みなさん疑心暗鬼だったのです。最初は僅かな注文しか取れず、ガッカリしたことを覚えています。ソフビの生産は通常、元型から生産型を作ります。でも注文が少ないので、元型から直接、最低ロットの各600体を生産したのです。その時は自分に「プラモデルは売れているから怪獣ソフビも大丈夫!」と暗示をかけました。そして約1ヶ月後に生産が上がり、数も少ないので午前中に納品を終えました。「売れなかったらクビだ……」と重い気持ちでいると、午後に1軒の問屋さんから「怪獣ソフビが売り切れたのだが、もうない?」と電話があったのです。問屋で仕入れてくれた小売店さんは、子供達の『ウルトラQ』人気を知っていたのですね。その後、続々とほかの問屋さんからも電話がかかってきました。おかげで午後にはすっかり気分も晴れたことを覚えています(笑)。
1月に『ウルトラQ』が始まり、怪獣ソフビが店頭に並んだのは5月頃なので、遅めのタイミングだった事も結果的に良かったように思います。それからは本当に毎日戦争のように生産していました。今言える事は、それまで世の中に無かった新しいモノ、例えば当時で言うとダッコちゃん(1960年発売)は大ブームになりましたが、最初は返品が多かったのです。新しいモノは、お客様である子供の声を聞いていれば簡単に解りますが、大人はすぐジャッジ出来ないわけです。

2.怪獣ソフビのデフォルメ表現の誕生

―怪獣ソフビは、どうしてこのデフォルメになったのですか?
怪獣は怖いイメージが強い。マルサン商店がプラモデルでお願いする原型師さんの造型は少しリアルなので、ソフビ向きではないと考えていました。そんな時、工場へ品物を仕入れに行ったら、そこで凄い数、生産している「どうぶつソフビ」を見たのです。「どうぶつソフビ」は人気で、数社から発売されていました。でもそこで見たのは、際立った特徴はないけど、造型素人の私から見ても、とても可愛らしく「売れる原型は、どこかが違う……」と感じたのです。その原型を製作された方が、名古屋の原型師、河本武さんでした。その方は瀬戸物の造型師で、柔らかいデザインが得意だったのですね。「この方なら怪獣ソフビも!」と直感してお願いすることにしたのです。最初は、怪獣デザインを見せながら、デザインから外れすぎないこと、「どうぶつソフビ」よりもディティールを細かく造型してほしいこと、怪獣は怖いイメージなので「出来るだけ可愛く」とお願いして、それ以外は全て原型師さんのセンスにお任せしました。河本さんも怪獣は初めてなので黙って説明を聞いてくれましたね。

―このデフォルメは、完全に河本さんのセンスということですね。
そうです。造型の専門家にお任せした結果です。最初の原型は太くて尻尾があったと記憶しているので、多分ゴメスかパゴスのどちらかだったと思います。初めて見た原型は、とても丁寧に作られて、思っていた以上の出来でうれしかったですね。最初は2~3指示して手直ししていただきましたが、河本さんも要領を得てくると仕上がりも早くなり、私から要求する事もほとんどなくなりましたね。

ブルマァク45周年記念企画・第1回 怪獣ソフビ誕生とブルマァクの歴史!
↑始めて怪獣ソフビを作った原型師・河本武氏が原型を担当した「どうぶつソフビ」。確かに出来がいい。今なお人気の怪獣ソフビのデフォルメ造形の原点だ!

3.1969年ブルマァク誕生

―マルサン商店から怪獣ソフビを引き継ぎ、新たな時代を築いたブルマァクの始まりについて教えて下さい。
1968年12月20日に、それまで勤めていたマルザン(マルサン商店→1967年にマルザンへ改名)が倒産しました。この時、東京の府中で3億円事件が起きたので、よく覚えているんです。残務処理を始め、翌1969年3月31日に全て終了するのですが、2月ぐらいから処理にあたった私と石田幸太郎、柴田豊の3名で、先の事を考え『またおもちゃ業をやろう!』と新会社の準備も進めていました。そして自由になった直後の4月4日にブルマァクはスタートしたのです。

―スタート日に意味はあったんですか?
「4」は「死」と嫌われる数字ですが、ある方に「その日がいい!」と助言されたので、あえて選びました。またマルザン時期の業績はマイナスでしたから、今度はプラスに転じようと言う意味もありました。

―そしてスタートしたブルマァクですが、最初はどんな商品を作ったのですか?
最初はマルサン商店時代も安定した売れ行きだった電車やダンプトラックなどの金属玩具がメインでした。

―やはり怪獣ソフビはすぐには……。
マルサン商店時代も『ウルトラマン』は好調でしたがマルザンになってから『ウルトラセブン』は、問屋さんの注文から生産過多となり、それが在庫になっていたのです。当時のキャラクター玩具は“危険な麻薬のようなもの”ということでしたので、さすがに避けました。

―怪獣ソフビ復活は、いつ、どんなきっかけだったんですか?
ブルマァク発足当時、自宅の怪獣ソフビは、全て甥っ子にあげていました。ところが、しばらくすると『子供達が集まって、怪獣ソフビで遊んでいる』と聞いたのです。数ヶ月前に残務処理で、ただ同然の値で処分されていたので、最初は信じられませんでしたが、それは本当だったのです。当時の『玩具商報』(おもちゃ業界紙)を調べてみると6月号(5月配布)に広告を出しているんです。となると4月末か5月頭には商品化契約をしていたということですから、子供達を見て、すぐ動き始めたのですね(笑)。
最初は「最小ロットで数量調整をしながら」という判断で、12種類ほどラインナップしました。ただ問題は問屋さんで、当時はキャラクター物が一旦落ち込んだら2度と売れないというジンクスがあったので「子供に人気がある」と説明しても依然、拒否反応は強かったのです。どの問屋も門前払いの中、マルサン商店時代に1番協力してもらった問屋さんに買っていただきました。ありがたかったですね。

―そしていよいよ発売ですね。反応はいかがでしたか?
店頭には7月ごろ並んだと思いますが、すぐ追加注文が入って順調に売れていきました。感じた通り子供達は怪獣ソフビを待っててくれたのです。後から知ったことですが、その時期は、全国的に『ウルトラマン』などが再放送され、視聴率も良かったのです。この実績から次々と問屋さんも扱ってくれるようになりました。1969年の秋には、順次東宝怪獣や『ウルトラセブン』怪獣などの新製品も製作しています。

―1970年は『ウルトラファイト』放映され、1971年に『帰ってきたウルトラマン』がスタートして第2次怪獣ブームが起こりました。
『帰ってきたウルトラマン』は集中して生産しました。やはりマルサン商店やマルザン時代の金型を全て引き受ける事が出来たのが大きかったですね。全て新規開発だったら、とてもこうはいかなかったと思います。怪獣ソフビの復活は、スタートこそ大変でしたが、その後はとても順調でした。その勢いを象徴するようにブルマァクを起こした3名を称して『三匹のゲリラ」』というタイトルで、『週刊漫画TIMES』(1970年12月19日号/芳文社刊)にマルザン倒産からブルマァク設立までのサクセスストーリーがマンガ掲載されたり、同時期、生命保険会社に『掛け捨て1億円保険』に加入し、凄い額でしたので、新聞一面に取り上げられて大きな話題になりました。

ブルマァク45周年記念企画・第1回 怪獣ソフビ誕生とブルマァクの歴史!
↑左は『玩具商報』6月15日号に掲載された1色ブルマァク広告。右は『玩具商報』9月1日号の4色カラーの表紙。新規造型されたアギラやボーグ星人が確認出来る

4.第1次ブルマァクの終焉と新生ブルマァクとしての復活

―好調なスタートを切ったブルマァクですが、1977年に1度幕を閉じますね。
1971年12月から新番組『ミラーマン』が始まります。当時のおもちゃのカラーは、基本的に赤、青、黄色の3原色がメインです。ただミラーマンは緑色だったので、不安を感じて初回生産は当時として少なめの3万6000体にして、問屋さんの要望で誤った判断をしてはいけないと、年末年始はアメリカの市場調査へ出張する事にしたのです。でも、この事が裏目に出てしまいました。初回分がすぐ売れてしまい、海外へ毎日催促の電話があるので追加生産してしまったのです。しかも、この隙をついて市場にミラーマンの偽物ソフビが出回ってしまった。すぐ偽物退治に奔走するのですが、その出先で子供達に『ミラーマン』人気を聞くと、どうも芳しくない……。慌てて生産にストップをかけましたが、時すでに遅しで、後々在庫になってしまいました。
また1971年にブルマァクは新社屋を竣工します。場所も良いので『2階まで会社、3階以上でマンション経営したらどうか?』と提案したのですが却下されました。そのお金で円谷プロさん製作『トリプルファイター』(1972年放映)の単独スポンサーになるのです。当時は大手企業でも単独スポンサーは少ない時代でしたので、この判断は無謀でしたね。そして『ウルトラマンA』(1972年放映)、『ウルトラマンタロウ』(1973年放映)、『ウルトラマンレオ』(1974年放映)と怪獣ソフビを発売しますが、1973年のオイルショックで不景気となり、徐々におもちゃは売れなくなっていくのです。第2次怪獣ブームにもかげりが見え始め、材料代の値上りもあって、『レオ』怪獣がスタンダードより小さいサイズで発売されたのはこういう背景のためです。

―それが後々の倒産の引き金だったんですか?
序章でしたね。ただ1972年ぐらいからハワイで怪獣ソフビを発売し始め、日本ほどではないが順調に売れていたのです。1975年には、ハワイの菊テレビで『ウルトラセブン』の放送を実現させ、大人気でした。また1974年は、ポピーさん(バンダイのキャラクター玩具部門)の[超合金]が爆発的なヒットで、ブルマァクもダイキャスト製[Z合金ジンクロンシリーズ]が好調でした。1976年は『UFO戦士ダイアポロン』の複数スポンサーとなり、そこで発売したダイキャスト製ダイアポロンはよく売れました。ところが続けてスポンサーになった『ろぼっ子ビートン』(1976年放映)や『合身戦士メカンダーロボ』(1977年放映)は予想以下の売行きだったのです。そして1977年10月にブルマァクは幕を閉じました。
原因は『ミラーマン』や『トリプルファイター』の失敗、第2次怪獣ブームの終演もありました。ただハワイの怪獣ソフビや『ダイアポロン』のヒットもあったので、何度か会社立て直しのチャンスはあったように思います。実は倒産直前まで小学館さんの雑誌で『新たな怪獣ブームを仕掛けられないか?』と模索していたので、もう少しがんばる事が出来たらと残念でしたね。

―1980年に『ウルトラマン80』放映、1984年には『ゴジラ』公開で、第3次怪獣ブームとなったことを考えると残念でしたね。
ブルマァクの後、1978年にアークというブルマァク時代に販売を担当してくれた会社に身を置きました。当時『ウルトラ』シリーズの怪獣ソフビは、ポピーさんが契約されていたので、それ以外で『マグマ大使』などブルマァク時代に取引のあった企画会社オレンジさんに版権取得を依頼して発売しました。
ただオレンジさんは企画会社で販売が弱かったので、後にアークとして版権を取得し『流星人間ゾーン』や『シルバー仮面ジャイアント』を発売しています。この時期、円谷プロさんの輸出部門である円谷エンタープライズさんの依頼で、ブルマァクのミラーマンやパゴスなど少数でしたが復刻もしています。

―ブルマァク倒産後も怪獣ソフビはアークに引き継がれていたんですね。
そうです。ただ1983年にアークも会社をたたむ事になり、次に丸越さんからお声がけ頂きお世話になる事になりました。丸越さんはバンダイさんと取引していたので、そこで今のガシャポン向けウルトラのデフォルメ指人形などを企画しています。
ただこの時期は、1991年に『ウルトラ』シリーズ25周年記念ということで、バンダイさんの依頼を受けて単発でブルマァク怪獣を復刻したぐらいで、90年代中頃のホビーブームになるまで一旦、怪獣ソフビは途切れます。
ホビーブームになると、数社から「復刻したい!」と打診され、当時は丸越ですから取引のあるバンダイさんのB-CLUBさんで復刻をお願いしたのです。ブーム初期は売れ行きが好調でした。

―ブランドとして復活したわけですね! 2007年に新生ブルマァクを会社として起こされました。それはどうしてだったんですか?
丸越が会社をたたむ事になったからです。この頃は、市場も落ち着いてきたので、バンダイさんから『直接やって下さい』と言われてブルマァクとして展開していました。ただ一昨年、バンダイさん傘下のプレックスさんから新たに販売のご提案を受けたので、再びお世話になり、そのおかげで『ウルトラマンギンガ』など商品化させていただいています。

―怪獣ソフビがメインの時代は1966年からブルマァク倒産までの11年間。今の[復刻シリーズ]は1997年スタートから、すでに18年なので今の方が長いです。
数のボリュームは違いますが、ここまでブルマァクが続いているのは、おもちゃ業界の中でも珍しいケースだと思います。やはりマルサン商店時代、怪獣と出会い、原型師さんが造型した、ソフビという素材を最大限活かせる原型デザインが素晴らしかったのだと思います。もし違うデザインだったら、ここまで続いたのかどうか解りません。

5.ブルマァク時期の原型師さんについて

―ブルマァク時期も河本さんは原型を作られているんですか?
何十体もやっていただいています。ただ最初は、どの怪獣をお願いしたのか? 記憶がハッキリしないので今度調べておきます。

―お願いします! アーク時期は『流星人間ゾーン』や『シルバー仮面ジャイアント』、『アイアンキング』などの怪獣ソフビを発売されていますが、それはどなたが原型をやられてんですか?
ブルマァクでお願いしていた方々です。記憶が曖昧ですが、河本さんにも『流星人間ゾーン』の土食い恐獣ザンドラほか数点依頼していると思います。マルサン商店やマルザン時期は、河本さんには怪獣以外のウルトラマンや科学特捜隊隊員などもお願いしていました。ただブルマァク時期になると、点数を作るので河本さんには怪獣に集中していただき、ヒーローや隊員は、新たに東京の原型師・増田章さんをご紹介いただきお願いするようになりました。増田さんは、日本人形などが専門で、ヒーローは始めてということでしたね」

―マルサン商店時期からブルマァク時期では、どれぐらいの原型師さんに依頼されていたんですか?
マルサン商店とマルザン時期は、河本さんを含めて名古屋の3名と東京の2名です。ブルマァク時期になると増えて、名古屋と東京あわせて8名以上にお願いしていたと思います。

―駆け足でうかがってきましたが、まさに波瀾万丈な怪獣ソフビ人生ですね。それでは最後に今後の予定などを聞かせて下さい。
これからは、レオ怪獣を完全復刻いたします。更にファンの皆様からリクエストの多いヒーローの復刻と怪獣をブルマァクティストの新造型にて発売したいと存じます。いい時も悪い時も経験してきましたが、今なおこうして続けられるのは「怪獣ソフビファンの温かい応援があってこそ」と感謝の気持ちで一杯です。改めてファンの皆様に心より感謝と御礼を申し上げます。今後とももよろしくお願い申し上げます」

ブルマァク45周年記念企画・第1回 怪獣ソフビ誕生とブルマァクの歴史!
鐏三郎(いしづき・さぶろう)
■1936年生まれ。千葉県出身。1951年マルサン商店入社。1966年に怪獣ソフビを開発。1968年にマルザン倒産後、1969年4月にブルマァク設立。マルサン商店&マルザン時代の金型を全て引き継ぎ、第2次怪獣ブームを牽引。ブルマァク倒産後は、1978年アーク、1983年丸越に在籍。2007年、新会社としてブルマァクを設立。1966年から今なお怪獣ソフビの企画&販売に関わる、おもちゃ業界のレジェンド的存在。

■ブルマァク45周年記念インタビューバックナンバーはこちら
第2回「怪獣ソフビ生産を担当した島田トーイ」
第3回「最初の怪獣ソフビ6体の原型師・河本武氏」
第4回「ブルマァク時代のヒーロー&隊員の原型師・増田章氏」
第5回「ブルマァク時代の店頭用ソフビの原型師・宮田芳生氏」
第6回「70年代当時から現在までブルマァクの生産を担当するサトー」
第7回「ブルマァク時期の原型師・市川二巳氏」
第8回「ブルマァク復刻版の彩色サンプルを手がけた西村祐次氏(M1号)」
第9回(最終回)「これまでのインタビューを振り返る!ブルマァク代表・鐏三郎氏」

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